theohazeの記録

theohazeの独断と偏見による雑記

死の向こう

子供の頃から死ぬのが怖くて

 

小学校四年の時にずっと死ぬことを考えていた。

親が死んだらどうしよう。

友達が死んだらどうしよう。

 

なんせ、死ということに漠然とした不安がずっとつきまとっていた。

 

思春期の頃に人並みにクラブに打ち込んだり恋愛話をしたりして過ぎていくのだが、また大学時代に同級生が自殺したり事故で亡くなったりしたコトがあり、またそれらが浮上してきた。

 

当時日本のアイデンティティを感じるために三味線を始めていたので、お年寄りとはよく喋る機会があり、その時に皆、お参りや巡礼をしていた。

 

ボクはなんとなく、人生の最後の方は巡礼をするのなら先にしてみようかな。

っと思い巡礼をすることにした。

 

今でこそ、納得するが

 

巡  

 

礼  

 

っというように霊的なお巡り御礼のことなのだ。

 

ボクは何もよくわからず、ベタに八十ハ箇所とかではなくピンっと来たところを巡った。

 

だいたい中国、九州、関西圏あたりの場所だった。

 

その中でまた出会いがあり、色々な世界を見せてもらった。

こういう世界はこういう世界でまた色々な人がいる

 

 

だいたい一、二年ほどした時に箕面の龍安寺の弁天さんで手を合わせてお参りしていると

 

脳裏に極彩色が現れ

妙音が聴こえて

何とも気持ちの良い心地になった。

 

何ともいえない恍惚の波動

 

幻覚のような

 

みんな一緒みたいなワンネス体験

 

 

その後

マイケルジャクソンがワンネス体験で全身麻酔にハマっているということを聞いて、ボクも全身麻酔を何度かしたことがあるのだが、その時の気持ち良い感じはたしかにそれと似ていた

 

ある部分の脳を刺激してしまうのかも

 

似たようなコトは手塚さんのブッダにもかかれてあって、何かしらの体験があったのだと思う。

 

 

仏像が半眼なのは半分であの世、半分でこの世を見ているといわれるようにたしかに脳の上の方で気持ちよい色がひろがっていた。

 

その瞬間に死後の世界はこの波動なのか!

 

っということを悟った。

 

死ぬ瞬間に焦点を合わしているから怖かったのだな?

逝くのがこのような波動の場所なら怖くないな。

 

その先を感じることで

おそれが安心に変わった。

 

 

 

ボクはその瞬間に救われた。

 

ありがたいな〜 

ありがたい。

 

しかし、それもいつもあるけど、とってくるのは結局自分

 

求めよ、さらば与えられん。

 

本当に知りたいコトは知れる

 

 

死ぬ瞬間というのはジェットコースターに乗るようなものなのだ。

そのあとは気持ちの良い波動。

 

その後、バリ島に行った時の影人形劇で見ている劇は影絵なのだが、人形には極彩色が施されてあった。

 

それは常世は極彩色でそれに比べたら現世は白黒に見える。っということであって、ボクが感じたのはまさにそれだったんだな。

 

っと思った。

 

後、お寺の内陣に極彩色が施されているのもそのためで、昔から人々は感じてきたんだな〜

っと嬉しか思った。

 

悩みの分、向き合った分だけ人生は素晴らしいモノを与えてくれる。

 

また違う話で

タイの山岳民族の村に泊まる機会があり、ちょうど年越しの時であった。

 

その時寝ていると家の下で爆竹を鳴らしまくっていた。

年越しのお祝いはそうするらしい。

 

その爆竹に混じってまた妙音と極彩色が見えてきて、爆竹と妙音が混じったすごい極楽世界だった事を憶えている。

 

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写真はその感じを表現しようとした2016年につくったNirvana colorという作品だけど、まだまだ技術がたりなくて、時がくれば、そこに向き合って極楽を表現したいな

 

っと思う。

 

ある言葉では幽玄なのかもしれない。