theohazeの記録

theohazeの独断と偏見による雑記

直会について

直会はナオライと読みます。

 

ご存知の方は多いとは思いますが。

 

直会の真意を意識してされている方は少ないように思います。

 

直会とは神社のお祭りの後にみんなで宴会をすることだと思っている方は結構多いかとは思います(笑)

 

ので、直会は本来どういうものかというコトを説明したいと思います。

 

 

神社で神事がある時、それにお供えされている食べ物や飲み物がありますね。

 

その神前にお供えした食べ物や飲み物を神事の後にその参加者でいただく行為を直会といいます。

 

ので、出前でとってきたものではダメなのです。

 

そこまではよくご存知かと思います。

 

ちなみにお仏壇に供えたものをいただくのもその流れの名残なのです。神霊がご先祖に変わったのです。

 

具体的にどういうコトかといいますと

 

神霊にお供えした食べ者や飲み物は神霊の息吹に触れたものと考えます。ので、お供えした物を神事の参加者で食べる。

 

っというコトはお祭りの参加者が神の息吹を食べる。そこの神さんと一体化する。っというコトになるのです。

 

そういう概念なのです。

 

 

古代は食べるという行為は今よりも、もっとたくさんの意味があり、カロリーや栄養をとる以上の意味がありました。

 

だいぶ極端な話ですが、人肉食のカリバニズムはそんなトコロがありまして、強い者を倒して食べたら自分も強くなるみたいな(笑)

 

そんなトコロから来ています。

 

 

そういうただ食べるというよりも、一体化する。とりこむという感じですかね。

 

食べ物はまさに血肉になるんですが、それが今よりももっと、その食べ物以上のモノを取り込むという意味がありました。

 

 

ので、直会の参加者は神性をとりこむというコトになるのです。

 

それらのコトを意識した上で直会に参加されるとまた色々と違うかもしれませんね。

 

後、ゴハンの前に  「いただきます 」 っというのもその概念から来ているのだと思います。一体化、とりこむコト。それらを踏まえた上でのいただきます。なんですね。

 

 

そして、直会の参加者たちは同じ神霊の息吹をいただいた連体感が宿るわけなんです。その流れが氏子さんです。

 

社会的な横の意味もあるんです。

 

ちなみに盃を交わすのも、神霊にささげた杯をみなで飲み干すという神事から来ている連体感なんです。

 

食べる、とりこむ行為は本当に大切だったのです。

 

昔はどの人と言葉を交わすか。っとかそのあたりまでコダワリが強かったのです。時代劇とかでありますよね?

確かに合ってるといえば合ってるんですよね(笑)

 

風邪ひいてる人と話してたら風邪ひきますし。

 

もっというと菌をとりこんでるんですよね〜(笑)

ちょっとかなりマニアックになりそうなのでこの辺りで(笑)

 

 

そういう概念は個々のエネルギーのやりとりにみても、社会的な統率という角度からみても

 

うまく出来てるな〜。

っと思ってしまいます。